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国蝶オオムラサキ


   
オオムラサキ Sasakia charonda ♂♀

オオムラサキは夏に現れる大型で非常に美しいタテハチョウの仲間です。山地に多く、クヌギなどの樹液に集まっている姿を見ることができます。オスの翅は紫色に輝いていますが、メスはこの紫色がなく、黒い色をしています。メスはオスよりより大型で、飛んでいる姿はとても迫力があります。


▲樹液を吸うオオムラサキ

オオムラサキの記載

オオムラサキは1863年、ウィリアム・ヒューイットソン(William C. Hewitson)によって記載されました(その英語の原記載文はここで見ることができます)。この当時、オオムラサキはゴマダラチョウなどと一緒にディアデマ属(Diadema)の仲間と考えられていましたので、最初はディアデマ・カロンダ(Diadema charonda)という名前で発表されています。

その後、1896年にイギリスの昆虫学者フレドリック・ムーア(Frederic Moore, 1830-1907)が、オオムラサキは翅の脈など他の仲間と違う独特の特徴があることから、ササキア属(Sasakia)という新しい属を新設し、その中にオオムラサキと韓国のオオムラサキ(当時は別種として扱われていた)を入れました。この発表の中でムーアは「ササキア(ラテン語で、「ササキの」という意味)は彼の友好的仲間である、東京帝国大学の佐々木忠次郎教授に捧げたものと紹介しています。

このような経緯を経て、現在オオムラサキの学名は「Sasakia charonda (Hewitson, 1863)」となりました。これは、ササキア属のカロンダという種類で、ヒューイットソンによって1863年に記載されたという意味です。ヒューイットソンと発表年に( )があるのは、当初の記載(つまり、Diadema charonda)とは違う名前になっているということを表します。なお、命名者と発表年は省略することもよくあるので、Sasakia charondaともよく書かれます。この学名は世界共通の名前です(→学名について)。

佐々木忠次郎について

佐々木忠次郎は1857年生まれ、東京帝国大学動物学教室で生物学を学び始め、同教室を卒業した日本最初の動物学者です。その後帝国大学農学部教授となり、害虫や、養蚕学などの応用昆虫学を中心に研究をしていました。また、真珠のミキモトの創業者、御木本幸吉(みきもとこきち)に真珠養殖のアドバイスも行っていたようです。

オオムラサキの分布

日本以外の場所では、朝鮮半島、中国大陸東部、台湾、そして南はベトナム北部まで分布していて、東アジアの代表的な蝶と呼べます。翅の模様は場所によって少し違っていて、日本のオオムラサキは翅の裏面が黄色や灰青色をしていて、表の黄色い紋は白くなることもあります。一方南のオオムラサキは裏面の色がより濃くなり、模様はより複雑になっています。また、大きさも南にいくほど大きくなる傾向にあり、特にベトナムのオオムラサキは非常に大きくなります。

オオムラサキのオス
▲日本のオオムラサキ(上)とベトナムのオオムラサキ(下)。
翅、特に裏面の模様が異なります。

オオムラサキはタテハチョウ最大種なのか?

オオムラサキが紹介されるとき、「タテハチョウ科で最大」と書かれていることがありますが、これは昔の話で、現在は少し複雑なことになっています。以前タテハチョウ科には、現在のタテハチョウ科に含まれているジャノメチョウ亜科などを含んでいませんでした。ジャノメチョウの仲間には南米のモルフォチョウなど大型の蝶も含まれます。モルフォチョウの中には前翅長が100mmを超えるものがいくつかいます(→蝶の大きさ)。日本のオオムラサキの場合、前翅長は50-60mm程度で、その半分の大きさですので、タテハチョウ科最大の蝶とは言えません。また、マダラチョウ亜科も以前は独自の「科」とされていましたが、今はタテハチョウ科に含まれています。沖縄にいるオオゴマダラは前翅長が70mmほどになるので、オオムラサキは日本最大のタテハチョウとも言えないのです。

一方で、ジャノメチョウやマダラチョウをタテハチョウ科として扱わない人もいます。この場合、アジアのヨコヅナフタオのメスや、マダガスカルのウラギンオオフタオチョウのメス、アフリカ大陸のフルニエフタオチョウのメスなどがいずれも前翅長70mm程に達します。日本のオオムラサキはこれほど大きくなりませんが、実はベトナムのオオムラサキのメスは70mm近くに達します。この様にジャノメチョウとマダラチョウを含めない場合、オオムラサキはタテハチョウの中でも他の種とともに世界最大級の種と呼べるでしょう。

オオムラサキのメス
▲日本のオオムラサキのメス(上)とベトナムのオオムラサキのメス(下)。
下のオオムラサキは前翅長68mmもある巨蝶。

オオムラサキの亜種

各地域のオオムラサキは亜種(あしゅ)という種より細かく分類されていて(→種と亜種について)、現在4つの亜種に区分されています。

まず、日本のオオムラサキは名義亜種(もしくは原亜種と呼びます)です。これは、ヒューイットソンがオオムラサキを記載した時に日本で採集された標本を基に新しい種を記載したので、日本のオオムラサキが基準となります。学名では他の亜種と区別するために、Sasakia charonda charondaという風に、属、種、亜種の3つを書くことがあります。

次に翅の模様が少し違う台湾に生息するオオムラサキにはフォルモサナ(Sasakia charonda formosana)という亜種名がつけられています。同様に朝鮮半島と中国東部のオオムラサキにはコレアナ(Sasakia charonda coreama)、そして中国南部からベトナムのオオムラサキにはユンナエンシス(Sasakia charonda yunnanensis)という亜種名がつけられています。 上の写真にあるベトナムのオオムラサキがこれにあたります。

国蝶になった経緯

オオムラサキは日本の国蝶(こくちょう)です。さて、日本の国蝶はどの様に決まったのでしょうか。国蝶を決めようと言う話が持ち上がったのは、1933年に行われた蝶類同好会でした。その後色々と議論があり、次の点を満たす蝶が国蝶に選ばれるべきと提案されました。

  • 日本全体的に分布していて、簡単に見られる種類であること。
  • 誰でも知っているような種類であること。
  • 大形で模様が鮮明、飛び方など日本的な種類であること。

候補として上がった種類としては、オオムラサキの他にアゲハチョウ、アサギマダラ、ギフチョウ、アカボシウスバシロチョウ(朝鮮半島に生息)がありました。しかしながら、国蝶を決めるまでには議論も多く、話はなかなか進みませんでした。

しばらくして1956年6月20日、日本で初めて蝶をデザインとした切手が発行されました。これに刺激され、翌年1957年、日本昆虫学会総会でオオムラサキが国蝶として選ばれたのです。

ところで、国蝶だからといって、採集禁止の蝶ということではありません。ただし、地域によって保護している場所もあるので、注意が必要です。


1956年に発行された、日本初めての蝶の切手


オオムラサキが国蝶として決まった後、
1966年に再度発行されたオオムラサキの切手

オオムラサキの生態

オオムラサキは、エノキを食樹とする蝶で、母蝶は夏の間、エノキの葉にひとつずつ卵を産み付けます。卵から孵化した緑色の幼虫は、エノキの葉を食べて育ち、秋には4齢幼虫まで成長します。冬になると幼虫は色が茶色に変わり、木から下りて、枯葉の裏で越冬をします。そして春、温かくなるころにまた目覚め、エノキの葉を葉を食べ、6齢まで育ちます。6月の後半ごろ、幼虫は蛹へと変態します。


▲エノキにいるオオムラサキの6齢幼虫

6月から7月にかけて、蛹から成虫が羽化します。成虫のオオムラサキは樹液や腐った果実などに集まり、その汁を吸います。花には来ません。オスはテリトリーを張ってメスを待ちますが、そばを通るほかのオスや鳥までも追い払う行動をします。

かつては関東平野でも多く見られたのですが、環境の変化についていくことが出来ずに数が減ってきました。冬の間枯葉を掃除されると、オオムラサキの幼虫も気づかれずに一緒に処分されてしまいます。現在は、山地に多くの個体を見ることが出来ます。

オオムラサキ
▲羽を開いたオス。


参考文献

Hewitson, William C.,1863. Ill. exot. Butts [3] (Diadema): p.20
川田伸一郎, 2017. 哺乳類学がなかった時代の日本のMammalogy. 哺乳類科学 57(1):119-134.
Mikimoto, Kokichi, 1934. Farming Oysters for Pearls. The Rotarian: 9-11.
Moore, Frederic, [1896]. Lepidoptera Indica 3 . p.26

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