私たちは普段和名(わめい)で蝶の名前を呼んでいます。たとえば、「アゲハチョウ」や「モンシロチョウ」などは、誰でも知っている蝶の和名でしょう。ところが、もしアメリカに行って「モンシロチョウ」といっても、これはアメリカ人には通じません。アメリカでモンシロチョウは、「Cabbage
White」が一般的な名前だからです。和名は日本ではかなり統一されていて、日本のどこでも通用する名前で便利といえますが、一方海外では全く使えない名前なのです。
また、英語などでは、同じ蝶でもいくつかの名前が付いてしまうことがあります。例えば、キベリタテハは英名(えいめい)で、Mourning Cloak, Camberwell Beauty, Yellow Edge, Antiopa Butterfly,
Truermantel, Morio, Willow Butterfly, White-boarder, Antiope Vaness, Yellow
Bordered Butterfly, Grand Surprise, Spiny Elm Caterpillerなどと地方や国によって様々な呼ばれ方がされています。アメリカでは図鑑でもこの英名が統一されておらず、英名を使って蝶の話をすることが難しいことがあります。
では、上記のような場合、ある特定の蝶の話をする時にどうすればいいのでしょう?これは1758年にスウェーデンの生物学者リンネ(Carolus Linnaeus 1707-1778)によって提案された二(命)名法(Binomial System)を使用することで解決されます。
この二名法はある特定の生物に基本的にラテン語、またはギリシャ語などを利用して作った属名(ぞくめい)と種名(しゅめい)の二つの名前を使って名前を付ける方法です。例えば、モンシロチョウはPieris
rapaeといい、Pieris属のrapaeという種類になります。これを学名(がくめい)といいます。この学名は図鑑などには必ずと言っていいほど和名などと一緒に併記されていて、学名を使えば、ほとんど世界中の学者や愛好家に通じます。これは世界中の学者が、この学名が世界での統一の名前として合意しているからです。アメリカでは英名でなく、学名を使う人も多くいます。
◆学名を使う長所は、ほかの種類との関係が分かりやすくなることです。例えば、和名のウスバシロチョウは「シロチョウ」とつくためにシロチョウ科の蝶と間違われやすいのですが、これを学名で呼ぶとParnassius glacialisといい、ウスバキチョウParnassius eversmanniと同じ仲間であるということがわかります。これをさらに視野を広げてみると、ヨーロッパで代表されるアポロウスバParnassius apolloや朝鮮半島のオオアカボシウスバParnassius nomion、アメリカのオオアメリカウスバParnassius clodiusと同じ仲間だということもわかります。
◆学名の短所としてあげられるのがその覚えにくさ、親しみにくさにあります。スミナガシは和名の中でも人気のある名前ですが、これを学名で呼ぶとDichorragia
nesimachusと何の蝶かさえ分からなくなってしまいます。もっとも少しずつその名前の意味を理解すれば、覚えやすくなる種類もあります。例えば、ニューギニアに生息する巨大なゴライアストリバネアゲハOrnithoptera
goliathは、「Ornis」とはギリシャ語で「鳥」のことを表し、「ptera」はpteron、「翼」を意味し、鳥のような翼をもつ、ゴライアスという種類であることが分かります。
もう一つの短所としてあげられるのは、学名は場所によって読み方が変わってしまうことです。ラテン語ですから、ラテン語読みするのが正論ですが、英語圏では英語の発音読みされてしまい、日本では、どちらかというとローマ字読みされる傾向にあります。例えば、アゲハチョウは、Papilio
xuthusなので、正式には、パピリオ・クストゥスとなりますが、アメリカではパピリオ・ズーサスが一般的になっています。アメリカ人同士でも発音が違い通じない時もあります。
学名の読み方
学名は、基本的にラテン語ですので、読み方はラテン語読みとなります。ほとんどがローマ字と同じですが、以下にあるように特別な読み方をするものもあります。但し、種名などが人の名前に由来する場合はこれらのルールを無視することがあります。例えばルソンカラスアゲハのPapilio chikaeは命名者の母の名前「チカ」に付けられたものですが、ラテンゴ読みすると「キカエ」となってしまいます。
また、一般的に英語を母国語としている人たちは、これらを無視して英語風に発音するのがほとんどです。たとえば、サバクツマキチョウのAnthocharis cethuraは「アントカリス・ケツラ」が正しい発音となりますが、アメリカ人のほとんどは「アントカリス・セスーラ」と発音します。
「c」 |
カ行の発音「カキクケコ」 |
「x」 |
クス |
「j」 |
ヤ行の発音「ヤヰユヱヨ」 |
「ch」 |
カ行の発音「カキクケコ」 |
「qu」 |
カ行の発音「カキクケコ」 |
「th」 |
タ行の発音「たちつてと」 |
「v」 |
ワまたは、ヴ |
「ph」 |
「ファ・フィ・フ・フェ・フォ」 |
「r」 |
ル |
「z」 |
ザ行の発音「ザジズゼゾ」 |
学名の書き方
学名を書くときは、以下のような決まりがあります。
例:モンシロチョウ
Pieris rapae (Linnaeus, 1758)
又は、亜種名(あしゅめい)まで入れて、
Pieris rapae crucivora Boisduval, 1836
学名には斜体(Italic)を使用し、先に大文字から始まる属名、そして小文字から始まる種名、必要な場合は小文字で始まる亜種名、その後に著者名と発表年を書きます。斜体を使えない場合は、下線を名前に引きます。例えばPieris rapaeといった感じです。
学名の後にはその蝶を命名した人の名前と、それを発表した年を書きます。これは、省略されることもあります。Linnaeus,
1758とあれば、1758年にリンネが命名して発表したということが分かります。命名者が必ずしも蝶の発見者(または採集者)ということはありません。例えば博物館に保管されている未だ整理されていない蝶から新種を確認したり、海外から送られてきた蝶に新種が混ざっていたりして、それを見つけた人が新種として発表するケースもあります。
著者名と発表年に括弧()が付いているときは、属名が後から変更になったことを表します。上の例では、Linnaeus(リンネ)が最初にモンシロチョウをアゲハチョウ属(Papilio)で命名記載発表したため、この様な記載になっています。(当初は全ての蝶がPapilio属にまとめられていました。)
つまり1758年にリンネがモンシロチョウに名前をつけた時(これを記載、または発表するといいます)、モンシロチョウの学名は「Papilio rapae Linnaeus, 1758」だったわけです。ところが、数年後モンシロチョウはモンシロチョウ属であるPieris属に分類しなおされたため、学名がPieris rapaeとなり、「Pieris rapae (Linnaeus, 1758)」となったわけです。
なぜ、命名者と発表年を記載するのでしょう?それは、後にその種について調べる時に、命名者(すなわちその種に名前をつけた著者)と発表した年が分かれば、図書館などでその文献を探すことができるからです。特に新種を記載する時などに、この情報は大変大切なものとなります。
学名についての取り決め
蝶に学名をつけるときは、「国際動物命名規約(International Code of Zoological Nomenclature)」のなかにある、「蝶と命名規約」の項目に従ってつけます。種類の多い昆虫ですので、時として同じ新種の蝶に名前がいくつか付いてしまうことがあります。そのようなときには、次のようなルールが適用されます。
◎シノニム(Synonym):同物異名。同じ蝶に2つ以上の名前が付いていること。別種だと思われていたものが研究の結果同じ種類であったことが判明したとき、別々の人がそれぞれ一つの種に名前をつけたとき、すでに命名されいるのに、知らずにまた記載されたとき、などにおこります。
◎ホモニム(Homonym):異物同名。2種類以上の蝶に同じ名前が付いていること。昆虫類は種類数が多いため、新種を記載するときに、知らずに同じ様な名前を使用してしまう事があります。
シノニムやホモニムが発見されたときは、プライオリティ(Priority)・ルールが適用されて、発表が早かったほうの名前が有効となります。